「二十世紀から出てきたところだけれども、なんだか似たような気分」鏡明

SF

「二十世紀から出てきたところだけれども、なんだか似たような気分」
鏡明 本の雑誌社

読了。
連載はチェックしていなかったので、ほとんど初めて読む話ばかり。面白かった。

堀晃やホーガンが新進の注目作家として紹介されていて、タイムギャップが面白い。
後に登場するシモンズもアシモフ、クラークらベテラン勢の作品も新刊として紹介しているが、今読んでも勘所を外していない解説なのはさすが。うまく本質を掴んでわかりやすく語ることのできる人。

「SFが読みたい!」などで座談会に登場してしゃべる時は、ちょっと本流から外れたような、どことなく部外者的な独自の意見を言っていた印象が強い。年間ベストなんかもちょっと偏っている人だなと思っていた。

今回文章をまとめて読んで、ああ、こういう考えの元で発言していたのか、とわかりかなり好感度があがった。SFクズ論争の火付け役として、今まで少し印象は良くなかったかも。

以下に印象に残った箇所を引用。
「SFを読むということは、実は、SFのカルチャーにひたるということなのだ。SFを書き、SFを読むというシンプルな図式で充分な筈なのだが、どうも、現実には、その間にカルチャーというものを導入せざるを得ないように思う。――要するにカルチャーは排他的なものであって、わからない人間は、排除されてしまう。」

「ポピュラー・フィクションはサブカルチャーの積み重ねの上に存在している――それらがこの時代の神話と親和性がある」

セオドアローザック『フリッカー、あるいは映画の魔』について
「悪いは良い、最悪は最高なのさ――世俗的な評価、アカデミックな評価を拒否することが、「最悪は最高」という彼の主張が示していることで、そうした枠組みを捨てることが、自由であるということになる」

「SFの本質は、未来に対する感覚である。そしてSFの歴史というものは、それが失われていく過程なのだ――未来を失ってしまったら、何が残るのか、そう考えると、次が見えてくるように思う」

最後の↑の文章が特に印象的だった。

未来を失ってしまった、というのはすべての創作物が陥っている問題だろう。
未来への希望、未来にたいする信頼感などというものは既に無い。
創作者はそれを前提として、何らかの結末に至る方法論を選択しなければならない。

子供騙しの絵空事でごまかすのか、欺瞞と知りつつ理想論を語るのか、自分のまわりだけの問題解決でお茶を濁し、ミニマルな世界に退行するのか。それともこの閉塞を打ち破る新しい方法を生み出すのか。

説得力を持った回答を提示した物が、時代を反映・代表する作品となるのだろうか。

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